MAGISTIA――マギスティア――

人間の平均睡眠時間は7時間から8時間と言われている。 つまり1日の、そして人生の3分の1の行動は制限されていると言っても過言ではない。 だが、それも過去の話になりつつある。 『マギスティア』、人の睡眠中に脳内に分泌されるマギスティアは脳細胞の疲労を回復する効果がある。 記憶の再構成もマギスティアによる脳細胞の負荷の軽減の付随効果にすぎない。 つまり人間が睡眠を必要とする理由はこのマギスティアを脳細胞に与える必要があるからなのだ。 この物質によって、とうとう人間は睡眠という人生の大半を占める行為から解放された。 最も、全てのというわけではない。 「おい、おいハルキ。」 隣の友人小突いてくれたお陰で落ちそうになった意識を辛うじて覚醒させる。 「今日なんだろ?寝たらまずいんだろうが。」 そうだ、寝てしまう訳にはいかない。頭を振ってなんとか意識を保とうとする。 「サンキュー、ユウ。」 「せめてコーヒーぐらい飲んだらどうだ?」 理解ある友人の発言に感謝しつつ、目の前で眠気を誘う講義を続ける理解ない講師を呪う。 「後1時間もない。それこそ寝れなくなっちまう。」 そうだ、まだ寝るわけにはいかない。今寝たら寝れなくなる。 それからも友人に助けられながらなんとか講義を意識を保ったまま終え、すぐに講義室を出る。 眠気は取れないものの体を動かしている間は居眠りの心配は無い。 「お待ちしておりました。」 校門の前には一見するとただの一般人に見える初老の男が立っていた。男の持ち物である車も普通の電気自動車だ。 雇い主と違ってえらく質素だ。最もこのひとの場合は意図的にだろうが。 「早く行きましょう。そのほうがいいでしょう、お互い。」 挨拶もそこそこに助手席に乗り込む。男もなんの文句もなしに運転席に座る。 「眠そうですな、けっこうです。」 運転し始めて数分、まるで沈黙に耐え切れないように男がしゃべる。 もちろん、本当の理由は沈黙していると俺が寝かねないからだ。 仕事に私情を挟むような人間ならこの真夏の中車の暖房を最大で着けたりしないし、度々急ブレーキで車を揺らしたりしない。 「おかげさまで。睡眠時間が長くて。」 「さようですか。」 こちらの皮肉にも全く動じない。まぁあっちも睡眠不足で苛立っている人間など慣れたものだろう。 文字通りに息苦しいドライブは20分ほどで済んだ。 屋敷、そう呼ぶ他にない豪勢な家の敷地内、建物自体の門の前で降ろされる。 男は何も言わずに車を再発進させる。 俺もそれを気にも止めず屋敷の中に足を踏み入れる。 「お待ちしておりました。ハルキ様。」 扉を開けようとした瞬間、その扉が一人でに開く。 さすがに自動ドアということはなく、扉を開けたメイド二人の姿がすぐに目に入る。 「どうも。」 はじめてみたときはこちらが恐縮してしまった深いお辞儀も今では慣れたもので適当に返す。 メイドは頭を上げ「こちらです。」と俺の先を歩き始める。 もういい加減場所もわかっているが、こういうところはきっちりとしている。 扉から程近い位置に目的の部屋があるのは、一刻も早くという意味か、不審者を歩きまわらせたくないという意味か。 ともかくすぐにでも寝たい俺としてはありがたいことだ。 「やぁ。準備はできてるよ。」 ドアを開けると屋敷の外観に裏切らない豪華な寝室と白衣を着た若い男が立っている。まるで医者みたいな格好をした男は事実医者・・・らしい。 「じゃあ。今日もよろしくお願いします。」 挨拶もそこそこに俺はベッドに横たわる。 信じられないくらいふかふかな布団とベッドは眠気の溜まった今でなくても天国だ。 瞬間医者の男に顔を打たれる。 「っ!」 鋭い痛み・・・といっても知れている・・・が走る。 医者は悪びれもせずに道具の確認をしている。 「いつも言ってるだろう。寝るのはこれを刺してからだ。」 言ってる間にメイドたちが俺の体をベルトで固定する。 首も完全に固定されてから、医者は俺の頭蓋骨の間から目には見えないほどの細い針を差し込む。 いくつか刺したそれを固定した後。 「もういいぞ。」 医者のその宣言を聞いた瞬間に眠りに落ちる。今度は頬を打たれることもなかった。 最初に感じたのは柔らかい布団のぬくもりだ。 そしてその後に強烈な頭痛。 「ご苦労様です。」 目を開けたことに気づいたメイドの一人が俺に挨拶をする。 返事するのも億劫にベッドから出る。 正直この豪勢なベッドは捨てがたいが、仕事が終わった以上寝てもいられない。 「こちらが今回の報酬になります。」 渡された封筒の中身を即座に開け、中身を確認する。 失礼な行為なのは重々承知なのだが、いやわかっているからこそやっている。 「額が多いですよ。」 「本日は予定より10分長くかかりましたのでその分かと。」 腕時計を確認すると時間は22時を過ぎている。確かにいつもより時間がかかっているようだ。 「ありがとうございます。」 「車は外で待たせてありますので。」 社交辞令にも応じず、淡々と応対を進められる。 こんなこと知りたくもなかったが、本物のメイドとやらは世間が思っているほど愛想が良くないようだ。 眠いのを堪えられたのはクルマに乗るまでだった。 今度の目覚めは快適でもなんでもない車のシートの感触の上だった。 「次からはもう少し快適にお休みいただけるシートをご用意いたしましょうか?」 「人の心の中読まないでください。」 揺すって起こしてくれた運転手にお辞儀をしつつ車から出て伸びをする。 さっきのような快適な睡眠ではなかったはずだが、体はすっきりしている。 いや、それも当然だ。自分の脳が休んだのは快適なベッドの上ではなく車のシートの上だけなのだから。 運転手に礼を言った後、俺はマンションの自分の部屋に向かった。 そして講義のノートを開き自習を始める。 俺の人生の中で集中できる時間というのは普通の人に比べてかなり少ない。 今のように寝起きの瞬間でないと俺はろくに勉強もできないのだ。 マギスティア、物質が発見され、最近では既に他人に受け渡すことすら可能になっている。 さきほど俺がベッドで寝ていた時のように寝ている人間の脳からマギスティアを抽出、他人の頭に流しこむ。 この作業で、片方は寝てるにもかかわらずまったく疲れが取れず。 もう片方は睡眠時間の倍ほどの効果がある。 それはつまり、そのまま時間の明け渡しに通じる。 俺は自分の睡眠時間を売って金を手にしているのだ。 「で、結局なんでそんなことしてんの?」 人の昼寝を邪魔するユウを睨みつけるが、もちろん動じない。 「お前一人暮らしとはいえそこまで貧乏ってわけじゃないんだろ?学年トップで奨学金だって―― 「みんなアルバイトしてるだろ。それと一緒だよ。」 マギスティア譲渡のアルバイトは基本的に時給で換算される。 寝ている間のマギスティアの量は個人間で大差がないためそういう結果になるのだが。 この時給というのがべらぼうに高い。 数時間の時間拘束に加え、起床後の頭痛。数時間の睡眠状態を維持するための前日からの徹夜。 これらの悪条件から高時給にもかかわらずこの仕事を選ぶ人間は少ない。 「全然普通じゃ――っち、わかったよ。」 言いかけて友人は言葉を止める。 本当に俺がうざいと思った時に踏み込むのをやめるこいつの距離感の正確な測り方は こいつが俺の友人としていられる所以だ。 「さすがに・・・。上から目線すぎるな・・・。」 思ったことをそのまま口にしてみる。 意味はわかっていないだろうが、こちらの反省の意は伝わったらしい。 「いいってことよ。俺だって似たようなもんだ。」 ぼっちの俺と友達100人のお前を比べるんじゃない。 今度は頭のなかだけでゴチて睡眠に没頭した。 人はよく、一日がもっと長ければいいのにと思うらしい。 俺から言わせればバカもいいとこだ。 一日が長ければそれだけしないといけないこと、したいことが増えるだけだ。 時間が伸びる分一日の辛さが大きくなるだけだ。 それは、自分の一日が短くなった今でも変わらない俺の考えだ。 「おい、そこの君。」 「・・・。はい。」 しまった。完全に寝ていた。 講師に名指しですらないのに当てられて目が覚めるあたり俺の中にもやましさがあったのだろうか。 「続きを読んでくれ。」 「ほらよ。」 となりからユウが教科書を差し出してくれる。目だけで感謝を伝えつつそれを持ち上げる。 次読むところに矢印が書いてる。いつもどおりというか、俺がいつ当てられてもいいようにしてくれているらしい。 指示されたところまで読み終わりユウに教科書を返す。 「ありがとうな。」 「友情パワーだ。気にすんな。」 このノリをこいつは100人にやっているのだろうか? 疑問に思ったが口にはしない。 そんなことは俺には関係ない。踏み込むようなことじゃない。 それからも俺のバイトは続いた。 異常な気だるさをはらみつつも、穏やかな毎日。 「おや?」 屋敷に向かう途中、車の運転手が不思議そうな声を上げた。 執事という名の人間なのではないかというほど、人らしさを感じさせないこの人が疑問に思うなんてよほどのことだ。 眠いのも我慢して、むしろ寝ないためにフロントガラスを見る。 俺が乗っているような軽自動車ではなく、黒いリムジンが屋敷の入り口に止まっていた。 家の人間が帰ってくるところなのだろうか? 「申し訳ございません。少々お待ち願えるでしょうか?」 「困るのはそっちでしょ。」 普通にかえすのも嫌で捻くれた返事をする。 車から出てきたのは同い年ぐらいの女の子だった。 黒く長い髪をなびかせる様は普通なら大和撫子と表現されるところなのだろうが、 後ろが屋敷なせいもあってかどうもそんな印象を受けない。 俺が玄関から入った時にその女の子と目があったが、驚いた顔をしただけですぐどこかに行ってしまった。 「そういや・・・。この前の中間テストの結果発表が貼りだされてたな。」 「友達と飯でも食ってろ。」 昼休みになってすぐ話しかけてきたユウを一蹴する。 基本的に俺とこいつがつるむのはユウが他の友人とつるんでいない時間だけだ。 「いいから、見に行こうぜ。」 「お前―― 反論するときにはあいつは教室から出て行っていた。 無視――という選択肢は選べない。友人、と言っている上にその名目で助けられているからにはそういう義務がある。 それにこいつが朝すぐでなく昼休みまで待ってくれただけ感謝しなくてはいけないのかもしれない。 廊下の一角、掲示板には人溜まりができていた。 そこには先日行われた定期テスト、その中でも義務講義の合計点数の上位者が貼りだされている。 上位者にはいろいろ有利な権利も与えられるため、こうした結果は隠されることがない。 というかこういった細かいことをプライバシーがどうのと言い出すのは一昔まえに老人ぐらいだろう。 「さっすがはハルキだな。」 ユウの声に掲示板を見ていた人間が振り返る。ため息をつくがしかたがないだろう。 そりゃ、みんながきにして見ていたランキングの一位と同じ名前の人間がいたら振り返る。 ・・・。というか本人です。 「おんなじ学校だったのか。」 そのうちの一人、いつだったかに見た屋敷の女の子も掲示板を見ていた様子だ。 女の子はそれが俺だと気づいたのか目をきつくしてどこかにいってしまった。 「ちょっとミユ!?」 友達とおぼしき子が数人その後を追う。 「へぇ、ミユっていやいつも学年2位の子じゃないか。」 ユウはのんきにランキングを見ている。 そりゃ、他人よりも長い一日を過ごしているであろう彼女が他の人間よりも成績がいいのは自明だろう。 「いつもお前に負かされてるんで恨んでるんじゃねぇの?」 「逆恨みもいいとこだろ。」 本当に、自分の時間をわけているというのにいい迷惑だ。 時間が減ればやらないといけないことだけで一日が終わる。 やりたいことがやれなければ、やりたいと思わなければ、一日は楽に終わる。 きっと彼女にはこんなことを言っても伝わらないのだろう。 inserted by FC2 system